うどん

余計なことを言うな

やさしさ

優しくない人って薄っぺらい。深みがないような気がする。優しさや気遣いは、自分の経験や反省からくるような気がしているから。

 

中学3年生の冬に父親が死んだ。お通夜には、親族、父親が勤めていた会社の人、マンションの人、わたしの学校の先生などが来ていた。

先生たちがしんみりした雰囲気で焼香していたのが面白くて、少し笑ってしまったのを覚えている(笑っている場合ではない)

 

受験が終わって、無事に公立の高校に入学することができた。

4月だか5月、まだ学校が始まって間もないころ。わたしは真新しい制服に身を包み、学校から家へ帰ってきた。

マンションのエレベーターの前で、女の人が待っていた。わたしが小学校中学校と一緒だった同級生のお母さんだった。

その人はわたしに気づいて、高校は楽しいか、部活は何か入ったのとか、他愛もないことを聞いた。わたしは、高校はまだ慣れなくて大変だけど楽しいとか、天文部に入ったとかそういうことを話した。そのお母さんは、にこにこして話を聞いてくれた。すごく感じのいい人だ。

たぶん、すごく気を遣われていたんだと思う。

家に帰って少しだけ泣いた。その優しさが嬉しくて、また少し切ない感じもして、今も思い出すと胸がぎゅっとなる感じがする。

 

また、同じマンションの別の同級生のお母さんも、わたしを気にかけてくれていた。

 

いろんな人に見守られていたんだな〜。わたしが気付いていないだけで、気にかけてくれていた人たちがもっともっといるんだろう。

 

自分が平和に、快適に過ごせているのは、誰かの優しさや気遣いがあるからなんだなあと、わかった。

そしてわたしも、父親の死だけではなく、本当にいろいろなことを経験した。大変なことがたくさんあった。

だからこそ、普通の人ですみたいな顔してる人だって大変なことを抱えているのかもしれないと考えることができる(気がする)

 

他人に優しくない人は、自分が誰かの優しさに生かされていることを知らず、そして他者の苦労を想像できないほど自身の環境に恵まれているのだなと、滑稽だと感じる一方、とても羨ましい。

わたしも、優しさや気遣いが当たり前の世界で、自分が愛されることが当然で、大変なことや辛いことなどなく生きていきたかったな。

まあでも、今のままでも十分だという気持ちもあるから複雑だ〜

 

 

おわり